la vie en violette

サンフレッチェとサッカーに染まった日々

【修正中】第4回旧広島市民球場跡地委員会(8月10日)のためにおさらいしておきましょう 前編

旧広島市民球場の跡地利用問題といえばサンフレクラスタのみならず広島市民にとっても、関心の高い話題なのではないでしょうか。
つい先日も、この検討グループ会議における話でTL上も盛り上がっていました

【参考】
【小ネタ】カピタン閣下は市民球場跡地に関する中国新聞の報道にお怒りのようです
《ドメサカ板まとめブログ 12年8月6日閲覧》


そして、今月の10日に第4回旧広島市民球場跡地委員会が開催されるとか。
それに先だってこれまでのことを簡単に復習しておきましょう…というのが今回の趣旨

「簡単」とか言いながら書いてたらすごい量になった…。
3日連続更新となる上すごい分量ですが、お付き合いくだされば

以前、他のサイトなどでもまとめられていますが、更新版ということで

【参考①】
別紙5 旧市民球場跡地の活用に関するこれまでの検討経緯(pdf注意)
《第1回旧広島市民球場跡地委員会 資料 2012年8月6日閲覧》

【参考②】
よく分かる市民球場のこれまでの流れ
《旧市民球場の在り方を問う 2012年8月6日閲覧》

【参考③】
旧市民球場問題の今まで
《(旧)広島市民球場フォーラム2012年8月6日閲覧》


できる限りフラットな目線で起こった事実をまとめるよう努めました。
参考にした資料と個人的感想(余白があれば)は翌々日更新の3つ目の記事にて 
(追記)翌日の2個目の記事の追記に書いておきます

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①「旧広島市民球場跡地利用問題」とは
旧広島市民球場跡地利用問題」(以下「旧球場問題」という)ってそもそも何よ?
そんな方のために簡単に説明しておきましょう


「旧球場問題」とは、広島市における跡地利用問題の一つ。
広島には大規模未利用地なるものが結構沢山あったりするのです

その一つが旧広島市民球場跡地であり、広島大学跡地や二葉の里地区であったり。
以前までは現球場のあるヤード跡地もその一つでした。
これだけの大きな土地を遊ばせておく訳にはいかない…それが跡地利用というもの

(注記)
第3回検討グループに大規模未利用地のいい資料があったので追記
資料2 広島市中心部に位置する主な大規模未利用地の状況より

Ashiryou01

その土地を如何に有効に使うか、というのは広島の都市開発にとっては一大事業
だからこそ「あーでもない」「こーでもない」と議論が重ねられ、時間がかかりすぎて未だになかなか決まらないという問題が出てきてしまっているのです

また、跡地利用に関わることが出来れば大きな便益を享受することも可能になります。
たとえば商店街付近の跡地にショッピングセンターが出来てしまったら生活に関わります。
逆に宿泊施設を経営しているときに大規模集客施設ができれば経営に大きくプラス。
利害関係者の問題も利用計画の障害になりがちです

広島における跡地利用計画はこのような理由からなかなかうまくいっていません


旧広島市民球場は2008年を最後にその機能を現球場へと移転しました。
その跡地をどうするか…それが「旧球場問題」ということですね 

参考までにこんな動画を(2009年のニュースです


さて、この歴史を紐解くにあたって、全体を大きく5つに区切りたいと思います

  • 第1期:市民球場、ヤード跡地への移転が決定(1996年頃~2005年10月)
  • 第2期:提案募集から広島市・商議所の計画発表まで(2005年11月~2009年1月)
  • 第3期:計画への反発と解体条例(2009年2月~2010年6月)
  • 第4期:解体決定と市長交代による空白期間(2010年7月~2011年8月)
  • 第5期:新市長の下での跡地利用計画(2011年9月~現在)


大体こんな感じ。
実際に5つに分かれているわけではなく説明のための便宜上のものです

今回はこのうち第1期から第3期を駆け足で見ていきましょう

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②市民球場、ヤード跡地への移転が決定(1996年頃~2005年10月)
「旧球場問題」を語るためには現球場建設の問題に少なからず触れなければなりません

しかし、時間もスペースも無いし、メイン論点でもないので今回はダイジェスト。
もうちょっと細かい話はまた後日にでも書きたいと思います

  1. 球場の建て替え議論が持ち上がる
  2. ヤード跡地にオープン球場を建設することが濃厚に
  3. 建設団体が途中で撤退したため計画は白紙に
  4. 主要経済4団体が検討組織を発足させ、県・市に建設を要請
  5. 旧球場跡地に建て替え案が濃厚に
  6. 一転してヤード跡地に新設へ


大ざっぱに現球場建設となった経緯はこんな感じ。超大ざっぱっぱ

とにかく、こんな感じで2005年頃からヤード跡地での新設が濃厚となり、球場跡地をどのように活用するかという議論が本格化していきました 


③提案募集から広島市・商議所の計画発表まで(2005年11月~2009年1月)
2005年11月に広島市が行った提案募集。
これが跡地利用計画のスタートと言えるのかもしれません

この提案募集を踏まえて広島市民球場跡地利用検討会議、そして広島市民球場跡地事業計画案及び事業予定者選考委員会が開かれ、優秀案が2つ選定されました。
この2つの会議は俗にいう有識者会議ってやつ

年表にするとこんな感じになります

atochi-rekishi_01

最優秀案1つに絞れない事態に困ってしまった広島市

そこで颯爽と登場したのが、当時の商工会議所会頭の太田氏。
2008年2月に秋葉市長(当時)と会談すると9月に公表されたたたき台を強く支援しました。
商議所ビルの移転や菓子博の招致など精力的に活動します

その結果、地元商店街の一部や市民グループなどから反発がありましたが、なんとか2009年1月に計画案を策定することが出来ました


この間、意見・提案募集が2回行われています。
最初の募集では観光交流・アミューズメント機能がトップ
2回目の募集ではスポーツ機能が1番多かったことは覚えていいと思います。


④計画への反発と解体条例(2009年2月~2010年6月)
なんとか跡地利用計画を策定できた広島市でしたが次の難題は周囲の反発。
地元商店街の一部や市民グループ、市議会でもなかなか同意を得られません

賑わいがないなら作ればいいじゃない!
そんなわけで「賑わいづくり研究会」を作ってみたりしますが、イベント特区を提案されてしまうなど思うように計画が進みません

その時期の流れが次の年表。下線青字は主な反対活動の強調です

atochi-rekishi_02

ご存じの通り、最終的に2010年6月の市議会で球場廃止条例は可決されました。
しかし、計画発表から実に1年半もの時間がかかっており、2008年中に計画を策定、2009年3月に閉鎖だった予定を考えると反発の根強さが窺えます

(注記)
補足ですが、この頃の市民活動は非常に活発だったので独断でピックアップしています。
普通に抜けている可能性もありますが、悪しからず


そして、球場廃止条例の可決により次のフェーズへと移っていくことになります